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はじめに
この作品は「20世紀ウィザード異聞」の番外編にあたります。
単独でもお読みいただけますが、できれば本編のほうも読んでいただければ、世界観や登場人物の関係がわかり易いかと思います。
本編はブログ小説(完結済)と自サイト(pine treeの丘で)の小説ページ、どちらからでもどうぞ。
既に本編を読まれた方は、多少違う時系列、違う設定で書かれていますので違和感があるかもしれませんね。
なにせ一年前の作品ですので、文章の稚拙さは否めません。うきゃ~恥ずかしい!
ま、その。本編では書かれなかったオーリとエレインの休日デート編だと思っていただければ。
なお、落雷に関する科学的なツッコミはご容赦ください。
あくまでも作者の妄想世界でのお話ですので。
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1
夏の日の午後は長い。けれど八月も終わりになると、夕風が涼しくなる。
オーリローリ・ガルバイヤンは、空の色を映したような明るい目を窓の外に向けた。画家という職業柄か、絵になる雲の形につい見入ってしまい、彼は苦笑した。
「絵筆の後片付けを頼むよ、ステファン」
「どこかへ出かけるんですか?」
「まあね。エレインも休みだし、散歩にはいい季節だ」
彼は黒いローブと愛用の杖を手にした。
「なんだ、デートか。頑張ってね先生」
「……十歳の子どもに言われるとは思わなかったよ」
まだ幼い弟子にアトリエを任せると、彼は長い銀髪を揺らしてローブを羽織った。
一階ではさっきから家政婦のマーシャと守護者エレインが、何やらもめている。
「オーリ聞いてよ、マーシャったらあたしにスカート履けって言うのよ!」
「当たり前でございましょ、年頃のお嬢さんなんですから。せめてお二人でお出かけの時くらい、身ぎれいになさいませ」
竜人の娘、エレインは首をすくめた。いつも狩猟神のように自在に森を駆け回っている彼女には、ひらひらして動きにくい『スカート』など履く意味がわからない。一方、女性が活動的になってきたとはいえ二十世紀半ばのこの時代、ヘソの出るような短い胴着と短いズボンで過ごす若い娘など、前世紀から生きているマーシャには理解し難いだろう。オーリは笑いをこらえるのに苦労した。
「マーシャ、エレインに人間の価値観を押し付けたってダメだよ。
エレイン、そのままでいいよ。別に街に出かけるんじゃなし、散歩に出るだけだから」
エレインは『スカート』なるものから解放されて喜んだ。
「まったくあんな短いズボンで……最近の流行でございますかね!」
マーシャは頭を振り、エレインのために見立てた青いジョーゼットのスカートを、まだ残念そうに見ていた。
「まあいつか見てみたい気もする。君がドレスアップしたら綺麗だろうね」
「ドレス……なに?」
「いいよ、人間のたわごとだ。さて、出かけますか『お嬢さん』」
オーリはわざとらしく腕を差し出した。
黒々とした針葉樹の森を越えると、小さな湖を抱いた谷がある。
竜人である彼女の故郷を思い起こさせるこの場所に、時々オーリはエレインを誘って出かける。故郷を忘れないために、とオーリは言う。
けれどエレインには複雑な思いがある。
二年前、エレインの故郷は消えた。
正確には、人間共に奪い取られた。
普段、エレインはことさら陽気に、快活に振舞ってはいるが、竜人の魔力が消える新月の日には、どうしようもなく哀しく、消えた故郷や消えた同胞のことが思い出されて鬱気分になる。
それを知って、わざわざオーリは遠い湖まで『飛んで』くれる。
そう、彼は画家である前に魔法使いでもあった。
彼の魔力がどれほどのものかは知らないが、二人分の瞬間移動は相当に力を消費するだろうことは予想できる。だがオーリはこともなげに『散歩』と言ってのける。
二年前、竜人の守り里と共に滅びる覚悟で居たエレインを、人間の世界に来て生き延びるように訴えたのはオーリだ。
一対一で闘って力を示すこと条件にした竜人の娘を、この年若い魔法使いはいとも簡単に打ち負かした。人間などに負けた屈辱感と、奴婢として扱われるだろうという覚悟から剣を折ろうとしたエレインを押し留め、オーリは膝を折り、礼をつくして契約を申し出た。なんとも変わり者の魔法使い、それがオーリの印象だった。
それまでエレインが知っている人間は、ことに魔法使いなどという者は、自分たちと異質な者に対して、殺すか、奪うか、支配するかしかしないものだと思っていた。
オーリは違った。
あの人懐こい、明るい水色の目で、竜人の話を聞きたがった。
竜人狩りを認めるような人間には髪の毛を逆立てて怒った。
エレインの同胞が全て滅んだことを知った時には、一緒に泣き明かした。
これほど竜人に思い入れの深い人間が居ること自体、不思議だ。
「竜人になりたかった」とオーリは言う。
それが叶わないからせめて、竜の王が司るという雷に近づこうと、スパークを操る魔法を身につけたのだ、と笑う。
なぜこんな変わり者と契約する気になったのか、いまだにエレインは不思議でならない。
人間の世界は思ったほど酷くはなかった。
オーリは自分を大切にしていてくれる。マーシャは好きだし、ステファンはかわいい。
けれど、とエレインは思う。
ここはやはり、自分の世界ではないな、と。
「時々は思慮深い顔もするんだねえ」
オーリが感心したように言った。
「時々? ときどきとは何よ! あたしがいつもどんな顔してるって?」
「いや、いい顔してる。ほんと、竜人は哲学的だ」
クックッと笑いながら、オーリは肩越しに湖を指差した。
「ちょっと見せたいものがある」
オーリが向かったのは、湖の番人の小屋だった。
「や、ボリス。景気どう?」
「……いいわけないやな」
ボリスと呼ばれた髭づらの男は、うさんくさそうにエレインをちらっと見た。
「近頃は人間以外にも、妙なやつらが水を穢しに来るんでな」
「そりゃ問題だ。君の仕事も増える一方だね」
「ああ、カネにならん仕事ばかしさ……ところで、舟かい?」
「もう修理できたころかと思ってね」
「裏にあるから、勝手に乗り回すなりしてくれ。俺はもう帰るから、後は好きにすりゃいい」
「恩にきるよ、ボリス。これで飲んでくれ」
オーリが幾許かの代価を払うと、髭づらの男はニヤっと笑い、
「今夜は月の魔力が消える。せいぜい妙な呪いを受けないようにな」
と意味ありげに言い残して、小屋を後にした。
「やな感じ! なーにが呪いよ」
「気にしない、エレイン。いろんな人間がいるんだよ」
オーリはエレインを促して小屋の裏手に回った。
湖に続いている小屋の裏には、細い三日月型の小舟が置かれている。
「すごいだろ。革張りだよ革張り!」
オーリは宝物を見せる子供のように目を輝かせた。
「ど、どうしたのこれ?」
「北方先住民が乗ってたのと同じ舟だよ。作りっぱなしで放って置かれたのを貰い受けたんで、ボリスに修理を頼んでたんだ」
「オーリ……また道楽ってやつ?」
「なに言ってる、立派な研究だ。歴史的検証ってやつ」
オーリはエレインを先に乗せ、舟を湖に押し出した。
「エレイン、竜人はどんな舟を作った?」
「さ、さあ。あまり覚えてない……ひゃーっ!」
いきなりオーリが飛び乗ったので、小舟はグラグラと揺れた。
「なーにがひゃーっ、だ。泳ぎは得意だろ?」
「知らないの? 陽が落ちたら泳いじゃいけないのよ。魔物に足をひっぱられるんだから!」
「竜人にも迷信があるのか」
笑いながら、オーリは櫂をとった。
「迷信じゃなくて、先人の言い伝えなの。他にもあるんだから!」
「呪いの言葉とか? 調べたことがあるよ。ええと、カミナリに罰をくらうんだった?」
「そういうのは特別な……オーリ!」
エレインは前を見つめて息をのんだ。
「すごい! あの夕陽、すごい!」
雲を従えた夕陽が山の端にかかり、今しも沈もうとしている。
光の矢が幾筋も湖に投げられ、湖面が黄金色に染まる。
舟はその金波の中を分け入って進んでいく。
「いいね、一度こういう中を漕いでみたかった!」
櫂を操るオーリの背中で、銀髪が光った。
やがて夕陽がすっかり姿を隠してしまうと、
湖はしんとしてしまった。
まだ辺りは明るいが、空の色は刻々と変化してゆく。紫色の雲の端に、僅かな夕陽の名残があった。
オーリは櫂を操るスピードをゆるめた。
*2話は
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三日月型の小舟は光る波をかき分け、ゆったりと湖を進む。
エレインは舟べりから身を乗り出して水に手を遊ばせている。
「あんまり乗り出すと危ないよ、エレイン」
オーリは笑って櫂を止め、舟べりに引き上げた。
「漕がないの?」
「ああ。さっき一気に漕いだから、飽きた」
そういうと、オーリは舟底に長々と寝転がって夕空を見上げた。
「これだからね、もう。舟、流されるよ」
「流されてるねぇ」
「帰れなくなったらどうするの」
「それもいいな。このままずっと流されてみようか?」
黄金の雲に心地よく目を射られて、オーリは目を閉じた。
手を伸ばせば、愛しい者に届く。
けれど彼はこの二年間、敢えてその想いを封じ込めてきた。
未だに耳朶を離れない、ひとつの声。
二年前、竜人フィスス族が滅んだ日も、こんな穏やかな夏の日だったろうか。
魔法使いによる『竜人狩り』という愚行を、どうにかして止めたいとオーリは願ってきたのだが。結局自分は無力だった。せめて一番年若いエレインを生き延びさせるようにとべ・ラ・フィスス(母親集団)に訴え、一年の期限付きでやっと守護者契約を結んだのが八月初め。そうしていつか戦いが収束した時に、散り散りになったエ・レ・フィスス(父親集団)のうち誰か一人でも若者が生き残っていてくれれば、その人にエレインを返す。そういう約束だった。
けれど母たちの願いが叶う日は来なかった。『竜王の愛娘(まなむすめ)』と表現されるフィススの女性たちは、エレインをオーリに託した直後、炎の竜に化身し――多くの人間を道連れに、竜人の谷を焼き尽くして果てたと聞く。そうして一族の血を残すことよりも戦うことを選んだエ・レ・フィススもまた。彼らの最後の一人が、あっけなく魔法使いに切り裂かれて絶命したという冷酷な知らせがとどいたのは、八月も終わる頃。
あの時のエレインの叫び。
絶望というものが音を持ったなら、あんな声になるのだろう。
怒りが全身の皮膚を食い破って鱗となり、エレインはそのまま悪竜に化身してしまうかに見えた。
それゆえ――オーリはエレインの持つ魔力の多くを封じなければならなかった。胸の内でオーリもまた一番大切な思いを封じ、涙しながら。
あの日、いっそ怒りに任せて人の姿を棄てたほうが、エレインは幸せだったろうか。
いや、そうは思えない。竜人はあくまで『人』であり、竜ではないのだから。
それほどの辛い思いをしたにも関わらず、エレインはその後徐々に快活に笑う強さを取り戻した。気高い竜の心と人の心を合わせ持つ彼女は、後ろを振り向くことを良しとしない。人間のように感傷を引きずることをせず、『今』を全てとして生きている。まるで太陽が決して後戻りすることなく空を翔るように。
その強さを、自分も手にしたいとオーリは願った。願いながら同時に恐れてきた。
魔法使いの心は闇を宿している。その闇が太陽に暴かれて、弱さや醜さを晒してしまうのが恐ろしかった。だから心に閂(かんぬき)を掛けて、エレインに対しては家族のように、親友のようにしか接してこなかった。
けれどそんな卑屈な自分は、もう終わりにしよう。
この夏、ステファンという幼い弟子を迎えて、オーリは自分の中のこだわりが解けてしまうことに驚いた。十歳の少年は、自分を偽ることをしない。悲しみも、怒りも、臆病心でさえもそのままに表し、泣きたいだけ泣いて、怒って、そして笑う。この率直さ。本物の『童心』。それはオーリに力を与えた。
今日、この金色の風景の中で、自分もまたありのままの心を取り戻そう。そしてエレインに告げるのだ、余分な飾りの無い言葉で――
「エレイン?」
伸ばした手が空を切る。いや、エレインの気配さえ無くなったような気がして、オーリは跳ね起きた。ついさっきまで傍に座っていたはずの姿が消えている。
「どこだ、エレイン!」
オーリは湖面に目を凝らした。まさか、水に落ちた?
いや水音はしなかった。万が一、落ちるようなことがあったとしても、エレインなら泳ぎは達者なはずだ。
「エレイーン!」
湖面に声が吸い込まれていく。目を凝らしても、彼女の影どころか波紋すら見えない。
『わたしはここよ……』
ふいに声がして振り向くと、舟から離れた湖面に、まるで水面を歩くかのようなエレインの姿が浮かんだ。
『オーリ……』
水上のエレインが手を差し伸べる。
オーリはじっとそれを見ると杖を取り出し、おもむろに光を放った。
光がエレインを貫く。立ち昇る水柱の陰から、暗い声が響いた。
「やれやれ。可愛げのない」
「ジャノーイ!」
湖面に現れたのは、暗緑色の老婆のような姿をした水魔だった。
「魔法使いなど喰えぬ存在とは聞いていたが、まこと。せっかく声色まで使って誘ってやったのに」
「あいにくうちの守護者は『わたし』なんて上品な言葉は使わないのでね。ジャノーイ、悪戯が過ぎるぞ。エレインをどこへやった?」
「さあねぇ」
オーリはすかさず杖を振った。水魔の腕は見えない何者かにねじ上げられ、水藻を潰したような音をたてた。
「言葉が通じないか? どこへやった、と訊いている。それとも、テリトリー外に出没した咎(とが)で罰されたいか?」
「ヒッ! ヒッヒッ!」
水魔はひきつったように笑うと、
「今さらテリトリーも何もあるかね。わたしらは人間どものせいで年々少なくなる住処を争って生き残らねばならない。お前の愛しい竜人は、新月には普通の娘にもどる、そのくらい知っているよ。今宵は我らの新生の祭り、贄(にえ)として置いて行くがいい・・・ヒィィィィ!」
水魔ヴォジャノーイは放り上げられたかのように宙に浮かび、青白い炎に包まれた。
「誰に向かって言っている?」
オーリは水色の目を光らせた。
「エレインを喰らおうというのか!」
「暗き水底に……湖底の城に……」
詠うようなしゃがれ声が応える。
「美しき……竜の娘……いざ我らが糧となり……」
炎に包まれたまま、水魔はべしゃっと湖岸の岩に叩きつけられた。
「しばらくそうしていろ!」
言い捨てると、オーリは舟の中央に立ち、水面に垂直に杖を向けた。
「くそっ……湖底まで届くか……届け!」
そのまま湖底に向かって光を放つ。
杖の先から発した金色の光の帯は、湖面を揺らすことなく水の中を一巡し、やがて一方向に伸びていった。
エレインは、湖底になど居なかった。暗い水中で、自分にまとわりつく者と戦っていた。
発光する苔に照らされて暗く光る眼を向けて、われ先にエレインを水底に引き込もうと手をのばして来るのは、本来ここに棲むはずのない北方の水魔。それがなぜか群れを成して手を伸ばしてくるさまは、吐き気がしそうだった。普段のエレインになら恐れて近づいても来ないだろうに、新月に彼女の魔力が消えることを知って寄ってきたに違いない。
(馬鹿にするんじゃない!)
エレインは確実に水魔の目を狙って反撃の爪を伸ばした。
魔力が消えていようがいまいが、竜人として生まれたからには守るべき誇りがある。水魔などの餌食になるわけにはいかない。
だがとうに息は続かなくなっている。
もうじき力は尽き、肺の中に水が浸入してくるだろう。
それよりも辛いのは、水魔たちの怨念の声が直接頭に響いてくることだ。
……滅びの竜人よ、なぜ人の世に生きている……
……呪われし魂よ、我らが糧となり永き眠りにつけ……
(うるさい! うるさい! うるさい!)
エレインは頭を振り、暗い声を振り払った。
絶望して死を受け入れるなど、最大の恥だ。フィススの母は、いつも言っていた。どんな望みの無い状況の中でも『生きること』を選ぶのがエレインに課せられた役目なのだと。
だから、オーリと契約した時もその教えに従った。『生きること』を選ぶ、それはときに屈辱であり、ときに身を裂かれるよりも辛い。それでも。
肺が、潰れそうだ。けれどまだ手足が動く。諦めはしない。
もう何匹の水魔を倒したかしれないのに、際限なく沸く泡のように奴らは現れる。けれど絶望はしない。
ほどなく断末魔の苦しみが襲ってくるのだろう、それでも最後まで目を閉じることはするまい。次に目覚めるのが地獄ならば、一匹でも多く道連れにして、地獄で奴らの骸を並べてやる。
遠のく意識の中で、オーリの声を聞いた気がする。
エレインは両眼をかっと見開いた。
突然、水魔の群れが何かに驚いたように散り始めた。眩しい光の帯が、エレインに向かって伸びてくる。
(ばかオーリ! 遅いよ……)
エレインは光の帯の中を近づく人影に微かに笑みを向けて、手を伸ばした。
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水流にも壊れない大きな気泡を作って蘇生術を続けながら、オーリは引きつった顔で懸命に水を掻いた。スパークを魔力の基本とするオーリにとって、水の中は得意な場所ではない。冷静な判断をする余裕があれば、もっと効率の良い魔法でエレインを引き上げたのかも知れない。だが後先考えずに飛び込まざるを得ないほど、彼は強い恐怖を感じていた。
竜人の死は、ただの死ではない。
フィスス族の最期の話が脳裏をかすめる。竜人の命を終えると同時に紅い炎の竜と化したという母たち。今、水の中でエレインに同じような変化が起こったらどうなるだろう。水の力と炎の力がすさまじくせめぎ合い、この森を呑みこむのか。それとも二年前のように、怒りの化身のような悪竜に成るのか。どちらにしても水魔どもは生贄を得るどころか自分達が生きる場を失うことになるだろうに、彼らのの浅はかさには呆れる。それに――何よりもオーリにとって代替のきかない大切なものを失うことになる。その恐怖感。
が、生命力の権化のような竜人にとって人間の心配など何ほどの意味もなかった。何が口を塞いで潰れかけた肺胞に空気を送り込んでくれたのか考える間もなく、エレインは再び怒りをたぎらせていた。冥界からの誘いなど、とうに蹴飛ばしている。
――水魔のやろーっ! このままじゃ済まさない!
怒りは、そのまま力となる。舟の上に引き上げられた途端、エレインは笛のような音を立てて呼吸を取り戻し、岩の上でまだ青い炎に縛り付けられている水魔を睨んだ。
「ジャノーイ!」
水の上を走ってでも飛び掛っていきそうなエレインの剣幕に、オーリは危険を感じ、水魔を縛り付けた岩とは反対側の岸に舟を着けた。
「よせエレイン、それより肺の回復が先だ」
けれど水魔が岩の上からあざけり笑う声を聞くと、エレインはオーリの腕を振り払った。
「許さない……恥を知れ!」
エレインの口元が動く。オーリは凍りついた。
禁じられているはずの、竜人の呪詛(じゅそ)の言葉だ。
「やめろ!」
慌ててエレインの口を押さえたが、遅かった。
瞬間、空気が震える。耳を圧迫するような音の波を感じ、オーリは咄嗟にエレインを胸に庇った。
対岸に、木が裂ける音と金属音のような悲鳴。オーリが振り向いた時、落雷に打たれたかのように木がなぎ倒されているのが見えた。水魔ジャノーイは岩と共に砕け、暗緑色の体液とともにただの水藻に戻って、そこかしこに無残な残骸が飛び散っていた。
(なんてことを……)
オーリは愕然とした。 水魔とて絶滅危惧種には違いない、懲らしめはしたが殺すつもりはなかった。エレインを助け出したら、元居た沼地へ追い返すつもりだったのだ。だが、エレインは違う。
水魔は、彼女を見くびっていたのだ。一度竜人の闘争本能に火が着いてしまったら、新月だろうが魔力を失おうが関係ない。自らの誇りを護るためには禁忌を犯してでも闘う、竜人とはそういうものだ。
「エレイン?」
突然、力尽きたように膝をついたのを見て、オーリはハッとした。腕や脚の竜紋が消えかかっている。
「この……バカ! 呪詛の反動だ!」
禁忌を犯す者は、必ず大きな代償を払わねばならない。
それは人間も竜人も同じだ。
「エレイン! エレイン!」
オーリは肩を揺すったが、エレインは半眼のまま、ぶつぶつと同じ言葉を繰り替えすばかりだ。得体の知れない何かに、魂を取り込まれようとしている。
これでは何のために命を繋いだのか。もはや回復術など何の役にも立たない。
ふいにあたりが暗くなってきた。
オーリは空を見上げた。鈍(にび)色の雷雲が、天を這う生き物のように広がり始めている。
ついさっきまで、あんなに夕陽が照り輝いていたのに。
「竜・・・雷を司る竜の王!」
腕にエレインを庇いながらオーリは叫んだ。
「連れて行くな! エレインの魂を返してくれ!」
稲光が、脅すように空を走る。
オーリはローブにしっかりとエレインを包んで閃光と共に飛び立った。
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「さっきまでよく晴れていましたのにねぇ……」
風が強くなった。いつの間にか暗くなった空にどろどろと雷鳴が鳴り、稲妻が分厚い雲と雲の間を走っている。
ステファンはいやな予感がして落ち着かなかった。 まるで竜が怒り狂って空を駆け回っているようだ。
「オーリ様たち、お早く帰らないと。じき雨になりますよ」
「マーシャ、雨はふらない……きっと」
青ざめた顔でステファンが空を見上げた。
「そんな気がする。普通の雷じゃないよ」
カッ! と白い光が窓の外を照らし、一瞬落雷したかと思ったが、 そこに立っていたのは全身ずぶぬれのオーリだった。 腕に抱えたローブの中に、エレインの赤毛が見える。
「先生! 雨降ってないのに、どうし……」
「ステフ、家に入っていなさい!」
オーリは噛み付くように怒鳴った。
足元に風が巻き起こり、敷石の紋様が現れる。それが魔法陣になっていることにステファンは初めて気付いた。
エレインは暗い雲に覆われたような目をして、なお口の中でなにか呟いてている。
「エレイン、聞こえるか、エレイン」
オーリは顔を近づけて呼びかけた。
「帰って来い! 罰なら一緒に受ける!」
そして魔法陣の中央にエレインを横たえると、空に杖を向けて詠唱した。
「竜の王よ、汝が娘の罪を贖(あがな)わん。今一度(ひとたび)我の手に託すべし……」
そして雷雲を睨み、いったん杖を下げると、沈痛な表情で振り返った。
「ステフ、いいか、なるべく壁から離れて部屋の中央にいるんだ。 何があっても扉を開けてはいけない」
ステフはハッとした。オーリは祈るような眼をしている。
「……マーシャを頼む」
「オーリ様?」
「先生なら大丈夫だよ、マーシャ」
ステファンは自分に言い聞かせるように言いながら、マーシャを引っ張って扉の内側まで下がった。
稲妻が家を取り囲むように走り始めた。
マーシャはやむなく扉を閉めた。窓の内から見守るしかない。
オーリは杖を空に向け、慎重に手を放した。僅かな振動音と共に銀色の杖が宙に浮いたまま停まるのを確認すると、地面に膝をつき、呼吸を整える。 さらに右手でしっかりとエレインの手を握り、左手を魔法陣に置く。
銀髪がさわさわと逆立った。数秒間の事だったが、息が詰まりそうな緊張感に、ステファンのこめかみがチリチリと痛くなる。
突然、目の前が真っ白くなった。と同時にバリバリと地面を揺るがす轟音。
落雷だ、とステファンが思った刹那、魔法陣自体も発光し、杖とオーリの身体が弾け飛んだ。
エレインの身体は魔法陣の上で高く跳ね上がり、一瞬、紅い竜の姿を見た、とステファンは思った。
「オーリ様! エレイン様!」
飛び出そうとするマーシャを、ステファンは必死に止めた。
「だめ! まだ魔法陣が光ってる!」
稲妻が魔法陣の周りを取り囲み、まるでオーリを見定めるかのように走る。オーリは震えながら再び地面に手をつき、歯を噛み締めて懸命に耐えている。
やがて次第に稲妻は消え、雷雲が静かに去り、風が止んだ頃、やっと魔法陣の光は消えた。
オーリはうめき声もあげず、その場に倒れた。
「せんせーぇ! エレイーン!」
ステファンは泣きそうになりながら駆け寄った。
「マーシャ、お医者呼んで! 先生が死んじゃう!」
「いや、呼ばなくていい」
やけに落ち着いた声が聞こえ、一瞬ステファンは誰が言ったのか分からず戸惑った。
「ステフ、さっきのはいい判断だった」
地面に臥したまま、オーリがゆっくりと顔を向ける。
「先生?」
「マーシャを止めてくれてありがとう」
オーリは笑っていた。青ざめてはいるが、満足そうに。
「どう? なかなかうまくいっただろう?」
「ううーっ、もう!」
エレインが頭を振り、胸を押さえて起き上がった。
「先生……エレイン……」
ステファンは二人の無事な顔を見ると、ホッとすると同時に腹が立ってきた。
「無茶だよ! 自分の身体にわざと雷の電流を通したでしょう、正気じゃないよ! いくら先生でもそんな」
「だから、ちゃんと杖でタイムラグを作って電圧を調整したさ。その為にここの魔法陣まで帰ってきたんだ。他の場所でなら、とっくに直撃雷で死んでるよ」
オーリは苦労して仰向けになると、焼け焦げた服を引っ張ってみせた。
左手から胸を通り、紅い電紋がくっきりと見える。
「ちゃんと心臓を避けて、表面で受け流した。やるもんだろ?」
「そんな……マーシャを頼む、とか言うからぼく怖くって……」
「怖がらせるような事言ったかな。マーシャは雷が嫌いだからそばに居てやってくれ、という意味だったんだけど」
「オーリ様ぁ。年寄りをあまり驚かせないでくださいまし……」
マーシャはエプロンで顔を覆った。
「大丈夫だよ、マーシャ。わたしは小さい頃からよく帯電してたろう? 雷とは相性がいいんだ。 それよりエレインをみてやってくれ。生きてるか?」
「ばかオーリ! 生きてるわよ! 火傷のオマケつきでね!」
「たいしたもんだ。冥界の入り口まで行ってたくせに、コゲ痕一つで帰ってこれたの?」
オーリは笑って起き上がろうとしたが、顔をしかめた。
「ステフ、手を貸してくれ。筋肉を一部やられたらしい」
ステファンが支えながら半身を起こすと、オーリの左腕がぱたりと力なく下がった。
「まったく……なんてことするのよ」
エレインはオーリの顔を両手で挟み、ぼろぼろと涙をこぼした。
「オーリ、あんたね、前からどこかぶっ壊れてるとは思ってたけど……まさかここまでバカやるとは……」
「君がルール違反をしたから、こちらも禁じ手を使ったまでだ」
オーリはしゃらっと答えた。
「竜王の愛娘(まなむすめ)、フィスス族のエレイン。契約はちゃんと守ってくれ。命は大切にする、という条件だったはずだ。雷まで味方につける魔法使いなんてそうそういやしないだろう?」
「えーえ確かに! こんな変なヤツどこにもいないわよ!」
「誉めてるんだったら、感謝くらい示してくれたらどう?」
ステファンはマーシャに引っ張られてその場を離れた。
「なに? マーシャ」
マーシャは何も言わない。気を利かせろ、ということか。
が、後ろから聞こえたのは、ゴツ、という鈍い音と「痛ったーっ!」という叫び声だった。
二人が振り返った時にはエレインはもうその場に居ず、頭突きをくらったオーリが一人、ひっくり返っていた。
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オーリのほうが症状は重かった。皮膚表面の火傷だけではなく、身体の何箇所かは一時的に麻痺していたし、筋肉を傷めたらしく2日ほどは熱を出した。
魔法使いといえども生身の人間だ。治癒魔法をもってしても、深刻なダメージから回復するのは容易ではないのだな、とステファンは痛感した。
救いなのは、エレインが憎まれ口を叩きながらもつきっきりでオーリの看病をしていることだ。 ステファンやマーシャが時々交替するものの、ほとんどオーリから離れようとしない。なんだかんだいってやっぱり仲がいいんじゃないか、とステファンを安心させるには充分な出来事だった。
だが熱が下がってベッドに起き上がれるようになると、またしてもオーリの悪い癖が出始めた。
「ふむ、なかなかいいデザインだ」
オーリは自分の身体に残った電紋を興味深々でスケッチしていた。
「なーにやってんのよ」
エレインが呆れるのをよそに、オーリは講釈を垂れる。
「この樹形なんて面白いと思わないか? 電流が身体の表面を駆け抜けただけでこれだけの形状が残る。あの時は湖に潜ったせいでずぶぬれだったが、もっと電気抵抗の大きい状態ならどうだろう? エレイン、君の竜紋も美しいが、カミナリの造形もまた……」
「あーっもうバカバカしい!」
エレインはスケッチブックを取り上げ、
「オーリ、これ」
と、黒こげになった金属の固まりを差し出した。
「あの時、ローブのポケットに入ったままだったでしょう。 丁度これがあった真下の皮膚を火傷したんだけど……」
「ああ、これね。やっぱり壊れたか。参ったな」
オーリは黒こげの懐中時計を手に取った。
「オーリ、わざとでしょう?」
エレインは神妙な顔をした。
「あの時、あたしは“雷(いかずち)の罰”を受けるはずだった。オーリはわざとこの時計を残して、心臓に直撃しないようにしてくれたんでしょう?」
「さあ、どうだったかな。ポケットに忘れてただけかもしれないよ」
時計の蓋を開け、内側の文字を懐かしそうに眺めながらオーリはつぶやいた。
「わたしが独り立ちする時、師匠からもらった時計だ。ずっとローブと一緒に持ち歩いてきたんだったな」
「そんな大事なものなのに……」
「エレイン、物の価値なんてその時その時で変わる。 杖も、ローブも、そしてこの時計も、今回のことでみんなダメにしてしまったけど、それは修理するなり買い換えるなりすればいい。 だけど、代替の利かないものもあるからね……」
オーリは手を伸ばして、エレインの顔にかかる赤い巻き毛をかき上げた。
「先生ー!なんとかして!」
突然、隣の書斎からステファンが飛び込んできた。
「羽根ペンが暴れて、ぼくを刺して来るんだ!」
「ううう。空気を読まないやつめ」
オーリは顔をしかめた。
「はいはい、ステフ。生きて勝手に飛び回るペンなんてね、こうすりゃいいのよ」
エレインは書斎に向かい、ドアを閉めると同時になにかを叩き落すような派手な音を立て始めた。
「おーいエレイン、ペン軸だけは折らないでくれよ……」
こうなったら意地でも早く回復して、エレインに壊されないうちに羽根ペンたちを避難させなければ、とため息をつくオーリであった。
(終わり)
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