小説「20世紀ウィザード異聞」の番外編です
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水上に上がるまでの時間は、長かったのか。短かったのか。
水流にも壊れない大きな気泡を作って蘇生術を続けながら、オーリは引きつった顔で懸命に水を掻いた。スパークを魔力の基本とするオーリにとって、水の中は得意な場所ではない。冷静な判断をする余裕があれば、もっと効率の良い魔法でエレインを引き上げたのかも知れない。だが後先考えずに飛び込まざるを得ないほど、彼は強い恐怖を感じていた。
竜人の死は、ただの死ではない。
フィスス族の最期の話が脳裏をかすめる。竜人の命を終えると同時に紅い炎の竜と化したという母たち。今、水の中でエレインに同じような変化が起こったらどうなるだろう。水の力と炎の力がすさまじくせめぎ合い、この森を呑みこむのか。それとも二年前のように、怒りの化身のような悪竜に成るのか。どちらにしても水魔どもは生贄を得るどころか自分達が生きる場を失うことになるだろうに、彼らのの浅はかさには呆れる。それに――何よりもオーリにとって代替のきかない大切なものを失うことになる。その恐怖感。
が、生命力の権化のような竜人にとって人間の心配など何ほどの意味もなかった。何が口を塞いで潰れかけた肺胞に空気を送り込んでくれたのか考える間もなく、エレインは再び怒りをたぎらせていた。冥界からの誘いなど、とうに蹴飛ばしている。
――水魔のやろーっ! このままじゃ済まさない!
怒りは、そのまま力となる。舟の上に引き上げられた途端、エレインは笛のような音を立てて呼吸を取り戻し、岩の上でまだ青い炎に縛り付けられている水魔を睨んだ。
「ジャノーイ!」
水の上を走ってでも飛び掛っていきそうなエレインの剣幕に、オーリは危険を感じ、水魔を縛り付けた岩とは反対側の岸に舟を着けた。
「よせエレイン、それより肺の回復が先だ」
けれど水魔が岩の上からあざけり笑う声を聞くと、エレインはオーリの腕を振り払った。
「許さない……恥を知れ!」
エレインの口元が動く。オーリは凍りついた。
禁じられているはずの、竜人の呪詛(じゅそ)の言葉だ。
「やめろ!」
慌ててエレインの口を押さえたが、遅かった。
瞬間、空気が震える。耳を圧迫するような音の波を感じ、オーリは咄嗟にエレインを胸に庇った。
対岸に、木が裂ける音と金属音のような悲鳴。オーリが振り向いた時、落雷に打たれたかのように木がなぎ倒されているのが見えた。水魔ジャノーイは岩と共に砕け、暗緑色の体液とともにただの水藻に戻って、そこかしこに無残な残骸が飛び散っていた。
(なんてことを……)
オーリは愕然とした。 水魔とて絶滅危惧種には違いない、懲らしめはしたが殺すつもりはなかった。エレインを助け出したら、元居た沼地へ追い返すつもりだったのだ。だが、エレインは違う。
水魔は、彼女を見くびっていたのだ。一度竜人の闘争本能に火が着いてしまったら、新月だろうが魔力を失おうが関係ない。自らの誇りを護るためには禁忌を犯してでも闘う、竜人とはそういうものだ。
「エレイン?」
突然、力尽きたように膝をついたのを見て、オーリはハッとした。腕や脚の竜紋が消えかかっている。
「この……バカ! 呪詛の反動だ!」
禁忌を犯す者は、必ず大きな代償を払わねばならない。
それは人間も竜人も同じだ。
「エレイン! エレイン!」
オーリは肩を揺すったが、エレインは半眼のまま、ぶつぶつと同じ言葉を繰り替えすばかりだ。得体の知れない何かに、魂を取り込まれようとしている。
これでは何のために命を繋いだのか。もはや回復術など何の役にも立たない。
ふいにあたりが暗くなってきた。
オーリは空を見上げた。鈍(にび)色の雷雲が、天を這う生き物のように広がり始めている。
ついさっきまで、あんなに夕陽が照り輝いていたのに。
「竜・・・雷を司る竜の王!」
腕にエレインを庇いながらオーリは叫んだ。
「連れて行くな! エレインの魂を返してくれ!」
稲光が、脅すように空を走る。
オーリはローブにしっかりとエレインを包んで閃光と共に飛び立った。
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水流にも壊れない大きな気泡を作って蘇生術を続けながら、オーリは引きつった顔で懸命に水を掻いた。スパークを魔力の基本とするオーリにとって、水の中は得意な場所ではない。冷静な判断をする余裕があれば、もっと効率の良い魔法でエレインを引き上げたのかも知れない。だが後先考えずに飛び込まざるを得ないほど、彼は強い恐怖を感じていた。
竜人の死は、ただの死ではない。
フィスス族の最期の話が脳裏をかすめる。竜人の命を終えると同時に紅い炎の竜と化したという母たち。今、水の中でエレインに同じような変化が起こったらどうなるだろう。水の力と炎の力がすさまじくせめぎ合い、この森を呑みこむのか。それとも二年前のように、怒りの化身のような悪竜に成るのか。どちらにしても水魔どもは生贄を得るどころか自分達が生きる場を失うことになるだろうに、彼らのの浅はかさには呆れる。それに――何よりもオーリにとって代替のきかない大切なものを失うことになる。その恐怖感。
が、生命力の権化のような竜人にとって人間の心配など何ほどの意味もなかった。何が口を塞いで潰れかけた肺胞に空気を送り込んでくれたのか考える間もなく、エレインは再び怒りをたぎらせていた。冥界からの誘いなど、とうに蹴飛ばしている。
――水魔のやろーっ! このままじゃ済まさない!
怒りは、そのまま力となる。舟の上に引き上げられた途端、エレインは笛のような音を立てて呼吸を取り戻し、岩の上でまだ青い炎に縛り付けられている水魔を睨んだ。
「ジャノーイ!」
水の上を走ってでも飛び掛っていきそうなエレインの剣幕に、オーリは危険を感じ、水魔を縛り付けた岩とは反対側の岸に舟を着けた。
「よせエレイン、それより肺の回復が先だ」
けれど水魔が岩の上からあざけり笑う声を聞くと、エレインはオーリの腕を振り払った。
「許さない……恥を知れ!」
エレインの口元が動く。オーリは凍りついた。
禁じられているはずの、竜人の呪詛(じゅそ)の言葉だ。
「やめろ!」
慌ててエレインの口を押さえたが、遅かった。
瞬間、空気が震える。耳を圧迫するような音の波を感じ、オーリは咄嗟にエレインを胸に庇った。
対岸に、木が裂ける音と金属音のような悲鳴。オーリが振り向いた時、落雷に打たれたかのように木がなぎ倒されているのが見えた。水魔ジャノーイは岩と共に砕け、暗緑色の体液とともにただの水藻に戻って、そこかしこに無残な残骸が飛び散っていた。
(なんてことを……)
オーリは愕然とした。 水魔とて絶滅危惧種には違いない、懲らしめはしたが殺すつもりはなかった。エレインを助け出したら、元居た沼地へ追い返すつもりだったのだ。だが、エレインは違う。
水魔は、彼女を見くびっていたのだ。一度竜人の闘争本能に火が着いてしまったら、新月だろうが魔力を失おうが関係ない。自らの誇りを護るためには禁忌を犯してでも闘う、竜人とはそういうものだ。
「エレイン?」
突然、力尽きたように膝をついたのを見て、オーリはハッとした。腕や脚の竜紋が消えかかっている。
「この……バカ! 呪詛の反動だ!」
禁忌を犯す者は、必ず大きな代償を払わねばならない。
それは人間も竜人も同じだ。
「エレイン! エレイン!」
オーリは肩を揺すったが、エレインは半眼のまま、ぶつぶつと同じ言葉を繰り替えすばかりだ。得体の知れない何かに、魂を取り込まれようとしている。
これでは何のために命を繋いだのか。もはや回復術など何の役にも立たない。
ふいにあたりが暗くなってきた。
オーリは空を見上げた。鈍(にび)色の雷雲が、天を這う生き物のように広がり始めている。
ついさっきまで、あんなに夕陽が照り輝いていたのに。
「竜・・・雷を司る竜の王!」
腕にエレインを庇いながらオーリは叫んだ。
「連れて行くな! エレインの魂を返してくれ!」
稲光が、脅すように空を走る。
オーリはローブにしっかりとエレインを包んで閃光と共に飛び立った。
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新月が過ぎ、月が再び光を取り戻すと共に、エレインの魔力は戻り、傷も回復した。
オーリのほうが症状は重かった。皮膚表面の火傷だけではなく、身体の何箇所かは一時的に麻痺していたし、筋肉を傷めたらしく2日ほどは熱を出した。
魔法使いといえども生身の人間だ。治癒魔法をもってしても、深刻なダメージから回復するのは容易ではないのだな、とステファンは痛感した。
救いなのは、エレインが憎まれ口を叩きながらもつきっきりでオーリの看病をしていることだ。 ステファンやマーシャが時々交替するものの、ほとんどオーリから離れようとしない。なんだかんだいってやっぱり仲がいいんじゃないか、とステファンを安心させるには充分な出来事だった。
だが熱が下がってベッドに起き上がれるようになると、またしてもオーリの悪い癖が出始めた。
「ふむ、なかなかいいデザインだ」
オーリは自分の身体に残った電紋を興味深々でスケッチしていた。
「なーにやってんのよ」
エレインが呆れるのをよそに、オーリは講釈を垂れる。
「この樹形なんて面白いと思わないか? 電流が身体の表面を駆け抜けただけでこれだけの形状が残る。あの時は湖に潜ったせいでずぶぬれだったが、もっと電気抵抗の大きい状態ならどうだろう? エレイン、君の竜紋も美しいが、カミナリの造形もまた……」
「あーっもうバカバカしい!」
エレインはスケッチブックを取り上げ、
「オーリ、これ」
と、黒こげになった金属の固まりを差し出した。
「あの時、ローブのポケットに入ったままだったでしょう。 丁度これがあった真下の皮膚を火傷したんだけど……」
「ああ、これね。やっぱり壊れたか。参ったな」
オーリは黒こげの懐中時計を手に取った。
「オーリ、わざとでしょう?」
エレインは神妙な顔をした。
「あの時、あたしは“雷(いかずち)の罰”を受けるはずだった。オーリはわざとこの時計を残して、心臓に直撃しないようにしてくれたんでしょう?」
「さあ、どうだったかな。ポケットに忘れてただけかもしれないよ」
時計の蓋を開け、内側の文字を懐かしそうに眺めながらオーリはつぶやいた。
「わたしが独り立ちする時、師匠からもらった時計だ。ずっとローブと一緒に持ち歩いてきたんだったな」
「そんな大事なものなのに……」
「エレイン、物の価値なんてその時その時で変わる。 杖も、ローブも、そしてこの時計も、今回のことでみんなダメにしてしまったけど、それは修理するなり買い換えるなりすればいい。 だけど、代替の利かないものもあるからね……」
オーリは手を伸ばして、エレインの顔にかかる赤い巻き毛をかき上げた。
「先生ー!なんとかして!」
突然、隣の書斎からステファンが飛び込んできた。
「羽根ペンが暴れて、ぼくを刺して来るんだ!」
「ううう。空気を読まないやつめ」
オーリは顔をしかめた。
「はいはい、ステフ。生きて勝手に飛び回るペンなんてね、こうすりゃいいのよ」
エレインは書斎に向かい、ドアを閉めると同時になにかを叩き落すような派手な音を立て始めた。
「おーいエレイン、ペン軸だけは折らないでくれよ……」
こうなったら意地でも早く回復して、エレインに壊されないうちに羽根ペンたちを避難させなければ、とため息をつくオーリであった。
(終わり)
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オーリのほうが症状は重かった。皮膚表面の火傷だけではなく、身体の何箇所かは一時的に麻痺していたし、筋肉を傷めたらしく2日ほどは熱を出した。
魔法使いといえども生身の人間だ。治癒魔法をもってしても、深刻なダメージから回復するのは容易ではないのだな、とステファンは痛感した。
救いなのは、エレインが憎まれ口を叩きながらもつきっきりでオーリの看病をしていることだ。 ステファンやマーシャが時々交替するものの、ほとんどオーリから離れようとしない。なんだかんだいってやっぱり仲がいいんじゃないか、とステファンを安心させるには充分な出来事だった。
だが熱が下がってベッドに起き上がれるようになると、またしてもオーリの悪い癖が出始めた。
「ふむ、なかなかいいデザインだ」
オーリは自分の身体に残った電紋を興味深々でスケッチしていた。
「なーにやってんのよ」
エレインが呆れるのをよそに、オーリは講釈を垂れる。
「この樹形なんて面白いと思わないか? 電流が身体の表面を駆け抜けただけでこれだけの形状が残る。あの時は湖に潜ったせいでずぶぬれだったが、もっと電気抵抗の大きい状態ならどうだろう? エレイン、君の竜紋も美しいが、カミナリの造形もまた……」
「あーっもうバカバカしい!」
エレインはスケッチブックを取り上げ、
「オーリ、これ」
と、黒こげになった金属の固まりを差し出した。
「あの時、ローブのポケットに入ったままだったでしょう。 丁度これがあった真下の皮膚を火傷したんだけど……」
「ああ、これね。やっぱり壊れたか。参ったな」
オーリは黒こげの懐中時計を手に取った。
「オーリ、わざとでしょう?」
エレインは神妙な顔をした。
「あの時、あたしは“雷(いかずち)の罰”を受けるはずだった。オーリはわざとこの時計を残して、心臓に直撃しないようにしてくれたんでしょう?」
「さあ、どうだったかな。ポケットに忘れてただけかもしれないよ」
時計の蓋を開け、内側の文字を懐かしそうに眺めながらオーリはつぶやいた。
「わたしが独り立ちする時、師匠からもらった時計だ。ずっとローブと一緒に持ち歩いてきたんだったな」
「そんな大事なものなのに……」
「エレイン、物の価値なんてその時その時で変わる。 杖も、ローブも、そしてこの時計も、今回のことでみんなダメにしてしまったけど、それは修理するなり買い換えるなりすればいい。 だけど、代替の利かないものもあるからね……」
オーリは手を伸ばして、エレインの顔にかかる赤い巻き毛をかき上げた。
「先生ー!なんとかして!」
突然、隣の書斎からステファンが飛び込んできた。
「羽根ペンが暴れて、ぼくを刺して来るんだ!」
「ううう。空気を読まないやつめ」
オーリは顔をしかめた。
「はいはい、ステフ。生きて勝手に飛び回るペンなんてね、こうすりゃいいのよ」
エレインは書斎に向かい、ドアを閉めると同時になにかを叩き落すような派手な音を立て始めた。
「おーいエレイン、ペン軸だけは折らないでくれよ……」
こうなったら意地でも早く回復して、エレインに壊されないうちに羽根ペンたちを避難させなければ、とため息をつくオーリであった。
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