小説「20世紀ウィザード異聞」の番外編です
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三日月型の小舟は光る波をかき分け、ゆったりと湖を進む。
エレインは舟べりから身を乗り出して水に手を遊ばせている。
「あんまり乗り出すと危ないよ、エレイン」
オーリは笑って櫂を止め、舟べりに引き上げた。
「漕がないの?」
「ああ。さっき一気に漕いだから、飽きた」
そういうと、オーリは舟底に長々と寝転がって夕空を見上げた。
「これだからね、もう。舟、流されるよ」
「流されてるねぇ」
「帰れなくなったらどうするの」
「それもいいな。このままずっと流されてみようか?」
黄金の雲に心地よく目を射られて、オーリは目を閉じた。
手を伸ばせば、愛しい者に届く。
けれど彼はこの二年間、敢えてその想いを封じ込めてきた。
未だに耳朶を離れない、ひとつの声。
二年前、竜人フィスス族が滅んだ日も、こんな穏やかな夏の日だったろうか。
魔法使いによる『竜人狩り』という愚行を、どうにかして止めたいとオーリは願ってきたのだが。結局自分は無力だった。せめて一番年若いエレインを生き延びさせるようにとべ・ラ・フィスス(母親集団)に訴え、一年の期限付きでやっと守護者契約を結んだのが八月初め。そうしていつか戦いが収束した時に、散り散りになったエ・レ・フィスス(父親集団)のうち誰か一人でも若者が生き残っていてくれれば、その人にエレインを返す。そういう約束だった。
けれど母たちの願いが叶う日は来なかった。『竜王の愛娘(まなむすめ)』と表現されるフィススの女性たちは、エレインをオーリに託した直後、炎の竜に化身し――多くの人間を道連れに、竜人の谷を焼き尽くして果てたと聞く。そうして一族の血を残すことよりも戦うことを選んだエ・レ・フィススもまた。彼らの最後の一人が、あっけなく魔法使いに切り裂かれて絶命したという冷酷な知らせがとどいたのは、八月も終わる頃。
あの時のエレインの叫び。
絶望というものが音を持ったなら、あんな声になるのだろう。
怒りが全身の皮膚を食い破って鱗となり、エレインはそのまま悪竜に化身してしまうかに見えた。
それゆえ――オーリはエレインの持つ魔力の多くを封じなければならなかった。胸の内でオーリもまた一番大切な思いを封じ、涙しながら。
あの日、いっそ怒りに任せて人の姿を棄てたほうが、エレインは幸せだったろうか。
いや、そうは思えない。竜人はあくまで『人』であり、竜ではないのだから。
それほどの辛い思いをしたにも関わらず、エレインはその後徐々に快活に笑う強さを取り戻した。気高い竜の心と人の心を合わせ持つ彼女は、後ろを振り向くことを良しとしない。人間のように感傷を引きずることをせず、『今』を全てとして生きている。まるで太陽が決して後戻りすることなく空を翔るように。
その強さを、自分も手にしたいとオーリは願った。願いながら同時に恐れてきた。
魔法使いの心は闇を宿している。その闇が太陽に暴かれて、弱さや醜さを晒してしまうのが恐ろしかった。だから心に閂(かんぬき)を掛けて、エレインに対しては家族のように、親友のようにしか接してこなかった。
けれどそんな卑屈な自分は、もう終わりにしよう。
この夏、ステファンという幼い弟子を迎えて、オーリは自分の中のこだわりが解けてしまうことに驚いた。十歳の少年は、自分を偽ることをしない。悲しみも、怒りも、臆病心でさえもそのままに表し、泣きたいだけ泣いて、怒って、そして笑う。この率直さ。本物の『童心』。それはオーリに力を与えた。
今日、この金色の風景の中で、自分もまたありのままの心を取り戻そう。そしてエレインに告げるのだ、余分な飾りの無い言葉で――
「エレイン?」
伸ばした手が空を切る。いや、エレインの気配さえ無くなったような気がして、オーリは跳ね起きた。ついさっきまで傍に座っていたはずの姿が消えている。
「どこだ、エレイン!」
オーリは湖面に目を凝らした。まさか、水に落ちた?
いや水音はしなかった。万が一、落ちるようなことがあったとしても、エレインなら泳ぎは達者なはずだ。
「エレイーン!」
湖面に声が吸い込まれていく。目を凝らしても、彼女の影どころか波紋すら見えない。
『わたしはここよ……』
ふいに声がして振り向くと、舟から離れた湖面に、まるで水面を歩くかのようなエレインの姿が浮かんだ。
『オーリ……』
水上のエレインが手を差し伸べる。
オーリはじっとそれを見ると杖を取り出し、おもむろに光を放った。
光がエレインを貫く。立ち昇る水柱の陰から、暗い声が響いた。
「やれやれ。可愛げのない」
「ジャノーイ!」
湖面に現れたのは、暗緑色の老婆のような姿をした水魔だった。
「魔法使いなど喰えぬ存在とは聞いていたが、まこと。せっかく声色まで使って誘ってやったのに」
「あいにくうちの守護者は『わたし』なんて上品な言葉は使わないのでね。ジャノーイ、悪戯が過ぎるぞ。エレインをどこへやった?」
「さあねぇ」
オーリはすかさず杖を振った。水魔の腕は見えない何者かにねじ上げられ、水藻を潰したような音をたてた。
「言葉が通じないか? どこへやった、と訊いている。それとも、テリトリー外に出没した咎(とが)で罰されたいか?」
「ヒッ! ヒッヒッ!」
水魔はひきつったように笑うと、
「今さらテリトリーも何もあるかね。わたしらは人間どものせいで年々少なくなる住処を争って生き残らねばならない。お前の愛しい竜人は、新月には普通の娘にもどる、そのくらい知っているよ。今宵は我らの新生の祭り、贄(にえ)として置いて行くがいい・・・ヒィィィィ!」
水魔ヴォジャノーイは放り上げられたかのように宙に浮かび、青白い炎に包まれた。
「誰に向かって言っている?」
オーリは水色の目を光らせた。
「エレインを喰らおうというのか!」
「暗き水底に……湖底の城に……」
詠うようなしゃがれ声が応える。
「美しき……竜の娘……いざ我らが糧となり……」
炎に包まれたまま、水魔はべしゃっと湖岸の岩に叩きつけられた。
「しばらくそうしていろ!」
言い捨てると、オーリは舟の中央に立ち、水面に垂直に杖を向けた。
「くそっ……湖底まで届くか……届け!」
そのまま湖底に向かって光を放つ。
杖の先から発した金色の光の帯は、湖面を揺らすことなく水の中を一巡し、やがて一方向に伸びていった。
エレインは、湖底になど居なかった。暗い水中で、自分にまとわりつく者と戦っていた。
発光する苔に照らされて暗く光る眼を向けて、われ先にエレインを水底に引き込もうと手をのばして来るのは、本来ここに棲むはずのない北方の水魔。それがなぜか群れを成して手を伸ばしてくるさまは、吐き気がしそうだった。普段のエレインになら恐れて近づいても来ないだろうに、新月に彼女の魔力が消えることを知って寄ってきたに違いない。
(馬鹿にするんじゃない!)
エレインは確実に水魔の目を狙って反撃の爪を伸ばした。
魔力が消えていようがいまいが、竜人として生まれたからには守るべき誇りがある。水魔などの餌食になるわけにはいかない。
だがとうに息は続かなくなっている。
もうじき力は尽き、肺の中に水が浸入してくるだろう。
それよりも辛いのは、水魔たちの怨念の声が直接頭に響いてくることだ。
……滅びの竜人よ、なぜ人の世に生きている……
……呪われし魂よ、我らが糧となり永き眠りにつけ……
(うるさい! うるさい! うるさい!)
エレインは頭を振り、暗い声を振り払った。
絶望して死を受け入れるなど、最大の恥だ。フィススの母は、いつも言っていた。どんな望みの無い状況の中でも『生きること』を選ぶのがエレインに課せられた役目なのだと。
だから、オーリと契約した時もその教えに従った。『生きること』を選ぶ、それはときに屈辱であり、ときに身を裂かれるよりも辛い。それでも。
肺が、潰れそうだ。けれどまだ手足が動く。諦めはしない。
もう何匹の水魔を倒したかしれないのに、際限なく沸く泡のように奴らは現れる。けれど絶望はしない。
ほどなく断末魔の苦しみが襲ってくるのだろう、それでも最後まで目を閉じることはするまい。次に目覚めるのが地獄ならば、一匹でも多く道連れにして、地獄で奴らの骸を並べてやる。
遠のく意識の中で、オーリの声を聞いた気がする。
エレインは両眼をかっと見開いた。
突然、水魔の群れが何かに驚いたように散り始めた。眩しい光の帯が、エレインに向かって伸びてくる。
(ばかオーリ! 遅いよ……)
エレインは光の帯の中を近づく人影に微かに笑みを向けて、手を伸ばした。
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